第22話 闇を視る眼、剣士が背負いし過去

 ライアとのやり取りを終えた後も、彼女の笑顔と語られた過去が頭の中に残っていた。彼女の話は明るい未来を感じさせるものでありながら、その裏に隠された孤独と苦しみが強く心に残っている。  そんな中、次の往診先に到着すると、そこにはまた別の知った顔があった。

「ゼフィルさん?」

 思わず声を漏らすと、彼は相変わらずの落ち着いた表情でこちらを見た。

「クウォンか」

 ゼフィルは軽く頷いて答える。その声には静かな安定感があるが、その奥に潜む何かに気づく。

「ゼフィルさんもどこか具合が悪いんですか?」

 素朴な疑問を口にすると、横からヘレナ先生が言葉を挟んだ。

「いや、そういうわけではないんだ。ただ、彼の眼の定期診察と、補助具のメンテナンスをするために来たんだよ」

「あ、なるほど」

 以前、フェルガンの狩りに同行したときに、彼から目を覆っている布について話を聞いたことがある。視力を失った彼は、あの布の補助具を使うことで、周りのエーテル粒子を通して世界を「見る」ことができると教えてくれた。

「あの補助具は、本当にすごい技術ですよね」

 感心したように呟くと、ゼフィルが少しだけ肩をすくめた。

「ああ、こいつには本当に助けられている。こいつがなければ俺はただの役立たずだ。それが現実さ」

「そんなことないですよ。あれがあれば、ゼフィルさんは誰よりも正確に動ける。それに、以前の狩りで見せてもらった技術は、誰でも真似できるものじゃないと思います」

 自分の言葉に、ゼフィルは一瞬だけ目を伏せ、それからゆっくりと顔を上げた。

「……そうだといいな……」

「それにしても、やっぱり視力を失うのって大変なんじゃないですか?」

 何気なく尋ねると、ゼフィルが短く息を吐いた。

「ふむ、もうこの状態が長いからな。もうあまり違和感はない。とはいえ、俺が今こうなることを選んだわけじゃないが」

 その言葉には重みがあり、自分はしばらく黙り込んだ。視力を失うということ、それでも前を向いて生き続けるということ。その覚悟がどれほどのものなのか、想像もつかない。  ふと、頭の中に先ほどのライアとの会話が蘇った。高濃度エーテルに晒された過去――まさかゼフィルも同じ経験をしているのだろうか。

「ゼフィルさん、間違いだったらすみません。ゼフィルさんの目も、もしかして高濃度エーテルの影響だったりしますか?」

 その問いに、ゼフィルは一瞬だけ眉を動かした。そして、少しだけ唇を引き締めた後、静かに答えた。

「……そうだ」

「も、ということは……そうか、ライアから彼女の昔のことを聞いたのか」

「……はい」

 そう短く答えた。  ゼフィルは軽く首を振り、わずかに微笑みを浮かべた。

「ならば別に隠すことでもない。クウォン、お前には知っておいてもらった方がいいだろう」

 彼が語り始めるその声には、これまでとは少し違う感情が込められているように感じた。それは、まるで過去を静かに受け入れる覚悟と、その痛みを隠そうとしない誠実さだった。

 ◇    ◇    ◇

 ゼフィルは静かに話を始めた。どこか遠くを見つめるような目で、その声には深い静寂が宿っていた。

「俺が狩りをしていたのは第4枝だ。魔獣の多さと厳しい環境で知られる場所だったが、それでもあの枝は俺の誇りだった。あそこが家族を支え、俺たちの生活を築いてくれた場所だったからな」

 その言葉には、彼がその地をどれだけ大切に思っていたのかが滲んでいた。

「だが、あの日すべてが変わった」

 ゼフィルは小さく息を吐く。

「突然の崩落が起きた。何の前触れもなく、大地が裂け、俺たちを飲み込んだ。その場にいたのは、俺と3人の妻たちだった」

 その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられるようだった。だがゼフィルは感情を押し殺すように、平坦な声で続けた。

「何とかして掴まえようとした。何度も手を伸ばし、叫んだ。だが、枝が崩れ落ちる勢いには逆らえなかった。俺たちは、抗う間もなく、暗闇の中へと落ちていった。最後に彼女たちの声が聞こえたような気がしたが――それすら、海に飲まれた」

 一瞬言葉が途切れる。その沈黙が、彼が見た光景の残酷さを物語っているようだった。

「俺自身も高濃度のエーテルに晒された。奇跡的に監視塔の人たちに助けられたが……妻たちは誰も助からなかった」

 声に微かな震えが混じったが、彼は続けた。

「あの海に落ちた瞬間、体が焼けるような感覚に襲われた。そして気づいた時には視力を失っていた」

 ゼフィルは顔を伏せた。

「……俺が助かり、妻たちが助からなかった理由は分からない。ただ、妻たちがいないという事実だけが残った」

 その言葉に胸が締め付けられる。ゼフィルがどれほどの喪失を抱えているのか、痛いほど伝わってきた。

「その後、監視塔の人たちに連れられて、このエントリアに流れ着いた。だが、俺は何もする気が起きなかった。すべてを失い、ただここで時間を潰しているだけの存在だった」

 ……無理もない。崩落事故で視力と妻を失ったのだ。その心境は思うにあまりない。

「……それが変わったのは?」

 思わず問いかけると、ゼフィルは少し表情を和らげた。

「エントリアに来た当初、俺は何もせず、ただ日々を過ごすだけだった。この村の人たちが俺に話しかけ、手を差し伸べてくれた。ヘレナ先生もその一人だ。彼女がいなければ、俺は今でも何もせず座り込んでいたかもしれない」

「ゼフィルさん……」

 その言葉の重みが胸に響く。

「今、俺がこの村で生きる理由は一つだ」

 ゼフィルは少し上を向き、まっすぐな声で続けた。

「枝の崩落で助かる命を一つでも増やす。それが、俺に残された使命だと思っている」

 それが、すべてを失っても前を向いて生きていける理由。  この人は本当に強い人だ。

「この村はただのフェルガンの拠点ではない。ここには、落ちた者を受け入れ、再び生きる意味を与えてくれる人たちがいる。俺も、かつてはただ喪失を抱えていた。だが、この村で過ごすうちに気づいたんだ。 俺が生きる意味は、もう過去にあるのではなく、これから何をできるかにあると」

「だから、俺はこの村を支える。この村が、多くの命を救い続ける限り」

 その言葉に、ゼフィルが持つ強い意志と彼を支えたエントリアという村の重要性が伝わってきた。

「だが、それでも全員を救えるわけじゃない。妻たちのように、助からない命も多い。それでも、俺が生きている限り、できる限りのことをする。それが、あの日生き延びた俺の責任だと思っている」

 ゼフィルの話を聞くうちに、自然と拳を握りしめている自分に気がついた。その強さと覚悟に圧倒されると同時に、自分も何かできるはずだという思いが湧き上がる。

「ゼフィルさん……」

 気づけば、拳を強く握りしめていた。  もし自分が同じ状況にいたら、あの瞬間、何ができたんだろう。  何もできなかったかもしれない。だけど――それでも、何かできることがあるなら。

「……あなたの生き方に、最大の敬意を」

 そう口にすると、彼は軽く笑った。

「尊敬なんていらないさ。ただ、生き延びた者としての役割を果たしているだけだ。クウォン、お前も自分にできることを見つけるといい」

 その言葉に、胸の奥で何かが静かに灯るのを感じた。

「今日はゼフィルの眼を覆う布のメンテナンスも兼ねているんだ」

 ヘレナ先生は布のような補助具を手に取り、説明を始めた。

「これは、彼が視覚情報を補うために使う道具だ。ミスティコードを刻んでいて、空間のエーテル粒子を感知して位置情報を補正している」

「すごいですね……ただの目隠しじゃなかったんですね」

 思わず感嘆の声を上げると、先生は小さく笑った。

「大したことはないさ。これは医者の仕事の一環だからな」

 先生は布の調整を終えた後、不意にそれをこちらに差し出した。

「ところで、クウォン君。試してみないか?」

「えっ?」

 戸惑う自分に、先生はにっこりと笑う。

「別に害はないから安心したまえ」

 布で、視界が完全に覆われた。ちょっと戸惑いはしたが、某目隠しをしたアンドロイドが登場するアクションゲームを思い出して、少しワクワクしてしまったのは内緒である。

着けてすぐは何も見えず、ただ闇の中にいるようだった。しかし、しばらくすると、ぼんやりとした光の粒が空間に浮かび上がり、それがまるで流れる水のように動き出した。  最初はただの模様にしか見えなかったが、意識を集中させると、それが壁や床の形を描いていることに気づく。

 ――まるで、自分の周囲が“エーテルの流れ”として視覚化されているかのようだった。

「これ……どこかで似た感覚があります」

 思わず呟いた。

「研究室で使ったレーザーセンサーのデバイスで取得した点群データをウォークスルーする時の感覚に似ています」

 光点の集まりが作り出す空間の感覚は、地球で言う点群データに近い。それでも、このリアルタイム処理の精度は、地球の技術ではまだ実現できていない。まるで技術と魔法が融合したような感覚だ。

「ほう、地球にも似たような技術があるのか」

 先生が興味深そうに聞き返す。

「はい。ただ、こんなにリアルタイムで空間を把握できるものではありませんでした。これ、本当にすごいですね……」

 その時、横からゼフィルが少し呆れたように言った。

「人の目隠しで遊ぶなよ」

「す、すみません!」

 慌てて布を外しながら頭を下げると、ゼフィルは少し笑いながら続けた。

「いや、気にするな。ただ、クウォン、お前がそれをすんなり使いこなせたのは驚いたぞ。普通は何が何だかわからず終わるものだからな。いきなりエーテル視から空間として把握できるのは本当にすごいことなんだぞ」

 なるほど。これは推測であるが、点の集まりである点群の空間を3次元的に認識するのはアースティアであったら自分に限らず比較的誰でも可能だが、3次元のVRやメタバースに慣れていないエルミナスの住人は難しいのであろう。非常に興味深い現象だ。

「アースティアというのは本当に面白いな」

 目隠しの補助具を着けながら、ゼフィルはそんなことを言った。

 ◇    ◇    ◇

 日が沈みかけた空の下、ヘレナ先生と診療所への帰り道を歩いていた。空を覆うような大樹の枝が、赤い夕陽に染まっている。その光景は美しい反面、どこか儚げでもあった。

「先生、今日はいろいろとありがとうございました」

 一日の感謝を述べると、先生は軽く笑って頷いた。

「いや、こちらこそ助かったよ。初めての治療にしては、なかなか見込みがあると思うぞ」

 軽い調子で答えるが、その表情は少しだけ影を帯びているように見えた。  しばらく無言のまま歩いていると、ふと先生が大樹を見上げて口を開いた。

「……ゼフィルやライアのように、枝から落ちた人々の話を聞いてどう思った?」

 その問いに、少し考え込んだ。

「そうですね……恐ろしくて、でも、彼らが助かったのは本当に奇跡だと思いました」

「そうだな」

 先生は小さく頷いた。

「だが、あの奇跡は本当に稀な例だ。現実には、多くの人が命を落としている」

 先生の視線は、大樹の複雑に絡み合う枝の先を捉えていた。

「枝の崩落事故は、ここ最近目立って増えてきている。さらに、大樹の一部では葉が枯れ落ちる現象や、エーテル供給の乱れ……それにエーテル汚染によって狂暴化した魔獣などが報告されている。以前なら考えられなかった異常事態だ。これが何を意味するかはまだ分からないが……大樹が衰えている証拠だと考えられている」

「衰え……ですか?」

 そう反射的に問い返した。

「ああ。大樹の命は永遠ではない。今まで支え続けてきたこの世界も、いずれ終わりを迎えるだろう。枝の崩落が増えるというのは、その兆候の一つに過ぎない」

 その言葉の重さに、自然と足を止めた。

「そして、枝から落ちた者たちの多くは、助からない」

 先生の声が一段低くなる。

「衝撃で命を落とすわけではない。高濃度のエーテルが、彼らの命を蝕むんだ。耐性のない者にとって、あの海は死そのものだ」

「でも……耐性が高ければ助かる可能性があるんですよね?」

 そう慎重に問いかけると、先生は静かに頷いた。

「そうだ。ライアやゼフィルは、まさにその数少ない例だ。しかし、それでも彼らが背負っているものの重さを考えると、本当に助かったと言えるのかどうか……」

 先生の言葉は、自分自身に問いかけているようだった。

「ライアは、あの高濃度のエーテルによって命を救われたが、それは彼女が自ら命を絶とうとした結果だった。ゼフィルもまた、命を繋ぎ止める代わりに、視力と大切な人たちを失った。そして今もその喪失を抱えてこの地に縛られている」

「それでも、ゼフィルさんやライアさんは前を向いています」

 ポツリと呟くと、先生は目を細めて少し微笑んだ。

「そうだな。だからこそ、私は彼らのことを誇りに思う」

 先生はふっと息を吐いた。

「ゼフィルが助かった後、私は何度も自問したよ。事故の知らせが届いたとき、私はすでに別の患者の処置に追われていた。急いで向かおうとしたが、間に合わなかった。もし、もっと早く知らせが届いていたら……もし、私がもっと早く決断していたら……彼の妻たちも救えたのではないか、と」

 先生は拳を握りしめる。

「だが、医者の仕事は『事故を防ぐ』ことではなく、『事故の後に助けること』だ。そう分かっていても、私は未だにその境界を受け入れきれない」

 その言葉に戸惑った。

「先生、そんな……先生は十分すごい方じゃないですか?」

「そう思いたいものだ」

 先生は自嘲気味に笑う。

「だが、医者というのは、つくづく自分の無力さを思い知らされる職業だよ。ライアやゼフィルを思うたびに、私はそれを痛感するんだ」

 少し沈黙が続いた後、先生が再び大樹を見上げて言った。

「もし大樹が完全に朽ちれば、枝は支えを失い、全ての住人が海へと落ちる未来が待っている。そうなれば、この世界の大半の住人は住む場所を失うだろう」

 エルミナスは、高濃度のエーテルの海で構成された惑星だ。その毒性から逃れるためには、この大樹が唯一の希望となっている。

「この木は、ただ人々が住む場所を提供しているだけではない。その根が大地に深く張り、高濃度エーテルを吸い上げ、そこに住む者たちの適した形でエーテルを変換し提供している」

「そして、大樹が朽ちたその時、この世界で生きていけるのは、おそらく第0枝や第1枝の住人だけだろう。エーテル耐性の低い者たちに、もう生きていける場所はない」

『異界の月のソプラニスタ』の挿絵。創作ファンタジー小説

 先生のそんな横顔を見つめながら、ふと恐怖を感じた。

「そんな未来が、本当に来るんでしょうか?」

「分からない」

 先生の声は静かだった。

「だが、もしそうなった時、私たちはどうするのだろうな」

 先生の言葉が、頭の中で渦を巻く。  もし、この世界が本当に崩れかけているなら――。  もし、本当に人々が住む場所を失うのなら――。

「その時、自分は何ができるのだろう」

 自然と、そんな考えが浮かんだ。  ただの歌い手として旅をする。それだけでいいのか?  この世界に来た意味は、本当にそれだけなのか?

 夕焼けに染まる大樹を見つめながら、胸の奥に新しい感情が芽生えているのを感じた。

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