ゼフィルの指示に従い、彼らは手際よく野営の準備を始めた。自分も何か手伝えることがないかと周囲を見渡していると、ニナが鞄から取り出した球状のアスタギアに目を引かれた。
「ニナさん、それは?」
尋ねると、ニナは少し得意げな表情で答えた。
「これは野営用のアスタギアさ。この球体を起点に、半径5メートルの防護フィールドを展開する仕組みだ。外からの視認を遮るだけでなく、内部の音や熱の発生を極限まで抑える仕組みだ。もちろん匂いや煙もな。それに侵入者がフィールドに触れれば警報が鳴るようになっている。第0枝の魔獣に気づかれず、安全に野営するためには必須のアイテムさ」
そう言いながら、彼女は球体にマナを注ぎ込んだ。アスタギアが微かに振動し、透明な光 of 膜がじわりと広がり始める。まるで水面に滴が落ちたときのような波紋が空気中に描かれ、それが一行を包み込んだ。
「それはすごく便利ですね。これがあれば、こんな危険な場所でも安心して野営できるわけですか」
感心しながら、光の膜に手を伸ばしてみると、柔らかく弾力のある感触が伝わってきた。その温かな反応に、エーテルとマナの存在が身近に感じられる。
「そうさ。この第0枝の森じゃ、夜になると魔獣が活発になる。何も対策しなければ、野営なんて命取りさ。ただ、それなりに高価な上必要なエーテル量が多いから、使えるのはここエントリアか第1枝くらいだな」
「なるほど」
ニナの説明に納得しつつ、ふと自分が転移された直後のことを思い出した。 (そういえば、あの時ドローンで周辺を探索したとき、エントリアの村が全く見つけられなかったのは……もしかして、こういうフィールドのせいだったのか?) 思わずその考えを口にすると、ニナが「おや?」と興味深そうにこちらを振り返った。
「どういうことだい?」
彼女の問いに、転移直後の状況を簡単に説明する。大学建屋の屋上からドローンを飛ばして村を探したが、周囲はただの森しか見えなかったこと、そしてそれが奇妙に感じたこと。 ニナは少し目を見開いた後、「ああ、それなら納得だ」と頷いた。
「エントリアの村もこういったアスタギアを使っているんだよ。ただし、規模が違う。村全体を覆うような大規模なフィールドを作ってるんだ。あれが外部から村を見えなくしている理由さ」
「村全体を覆う……それが可能なんですか?」
それを聞いて驚きが隠しきれなかった。 ニナは頷きながら、フィールドの仕組みを簡単に説明する。エントリアでは特別に設計されたアスタギアを用いて、村全体をフィールドで覆っているのだという。これにより外部からの視認が不可能になるばかりか、魔獣の侵入や攻撃を防ぐ効果も持っている。
「じゃあ、あの時村が見えなかったのは、魔獣から守るための対策だったんですね」
その言葉に、ニナは満足げに頷き、少し優しい声で続けた。
「そうだよ。この第0枝じゃ、それくらいの防衛手段がなければ生き残れない。この土地は資源が豊富で自然も美しいが、その分、危険も計り知れないからね。私たちがこうして平和に生活できるのも、あのフィールドのおかげなのさ」
その説明を聞きながら、エントリアの住人がこの危険な地でどのように生きてきたのかの、その一端を垣間見た気がした。技術と知恵を駆使して築き上げられた防衛網。その上に成り立つ日々の生活。それを支える彼らの努力と思考の深さに、胸が熱くなる。
(自分がどれほど特殊な場所に足を踏み入れたのか、改めて実感する)
光の膜に触れながらそう思っていると、ゼフィルの低い声が響いた。
「クウォン。これがエントリアでの暮らしだ。俺たちは自然に挑み、共存しながら生きている。どれだけ危険でも、希望を捨てることはない。覚えておけ」
彼の言葉は、まるでこの土地の掟そのもののようだった。こちらは静かに頷き、彼の言葉を心に刻み込んだ。
◇ ◇ ◇
フィールド内は穏やかな静けさに包まれ、薄暗い森の不気味さを忘れさせるほど快適だった。彼らは手際よく焚火を起こし、持参した食材や調理道具を使って簡単な夕食を用意している。フィールド越しに外を見やると、森の奥に薄い霧が漂い、昼間よりもさらに視界が悪くなっているのがわかった。
「この静けさ、フィールドがなかったら絶対に落ち着かないですね……」
ぽつりとつぶやくと、隣でスープをかき混ぜていたライアがにやりと笑った。
「そうだね。フィールドがなければ、あの霧の向こうから何が来るかわからないから」
その無邪気とも思える言葉に、背筋がぞくりとする。
「ライア、あまりクウォンを脅かさないの」
メリアがたしなめるように言うが、その表情もどこか微笑ましい。
「ま、初日は慣れるのが先決だよ、クウォン。緊張で食事が喉を通らないんじゃ、明日から動けないからね」
ニナが笑いながら木の器にスープを注ぎ、差し出してくれた。
「ありがとうございます」
温かなスープを手にしながら、周囲を見回す。焚火の柔らかな光がフェルガンたちの顔を照らし、心地よい雰囲気が広がっている。暖を取ることは焚火でなくてもいいそうだが、やはり火の温かみを好むフェルガンは多いそうだ。

そして、食事が進む中、焚火の暖かさに包まれながら、自然と会話が弾んでいった。彼らは狩りの話や、この地の魔獣のことについて語り合う。食事が進む中、ふと話題がこちらに向けられた。
「それで、クウォン。大樹を上りたいんだって?」
ニナがスープを飲みながら尋ねてくる。その声には興味と期待が入り混じっていた。
「ええ。今はこの世界に来て右も左もわからない状態ですが、いずれはあの大樹の上を旅してみたいと思っています」
言いながら、夜闇にそびえる大樹を見上げる。フィールド越しでぼやけていても、その圧倒的な存在感が伝わってくる。
「そうだな。どんな使命を受けてアースティアとしてこの地に送られてきたのかはわからないが、一度は世界を見て回るのもいいだろう」
ゼフィルが静かに頷く。彼の低い声は、どこか遠い過去を懐かしむような響きを持っていた。
「そうよ。私たちは皆元は大樹の枝の出身だから、それなりに旅をしてきたけど、クウォンはエントリアしか知らないというのはもったいないわ」
メリアが優しい口調で続ける。
「うん、大樹の上はたくさんの国があって、エントリアとは比べ物にならないくらいの人が住んでいる。見たこともないような景色もたくさんあるよ」
ライアも目を輝かせながら言った。その言葉に、自分の中で新たな興奮が芽生えるのを感じる。 この落ちた枝から大樹の頂を目指す旅――想像するだけで、心が躍った。
「……そうですね。そして旅をしながら歌を学びたいと思っています。この世界に来て、エッタや妖精族の歌を聴いて、色々な場所を旅しながら歌に触れてみたいと。それに、自分の声で何かを伝えたい――たくさんの人に、歌を届けたいです」
言葉にすると、改めて自分の中にある夢がはっきり形を成していくのがわかる。ゼフィルたちは一瞬驚いたようだったが、次第に柔らかな笑顔を見せてくれた。
「歌か。いい夢ね」
メリアが柔らかな口調で言った。その瞳はどこか遠くを見つめているようだった。
「エントリアで暮らしていると、歌を目指すって発想はあまり湧かないけど……素敵だね」
ライアも微笑みながら頷いた。
「クウォン、長命種であるならば時間は沢山ある。だからこそ焦らず自分を鍛えて、その時こそ自分の望む旅路に往くといい」
ゼフィルも低く響く声で言葉を添える。その言葉には、彼自身が多くの旅をしてきた経験が滲んでいた。 ニナがスープの器を置きながら、「旅と歌か」と感慨深そうに言った。
「悪くない夢だね。世界を見て、学んで、そしてそれを歌で伝える。きっとたくさんの人に喜ばれるだろう」
焚火の暖かさに包まれながら、自分の夢を語り、それを肯定してくれる人たちの存在に、胸がじんと熱くなった。この夢は、きっと叶えられる――そう信じられる夜だった。
◇ ◇ ◇
焚火の炎が小さく揺れる中、クウォンは長い一日を終えて、持参した寝袋に身を沈めて眠りに落ちていた。彼の微かな寝息が、過酷な第0枝の静寂の中でどこか穏やかさを添えている。フェルガンたちは焚火を囲みながら、声をひそめて語り合っていた。
「いい子だね、クウォン」
ライアがぽつりと言う。その言葉に、他の三人も頷く。
「歌を通じて世界を旅したいなんて、純粋で素敵な願いね」
メリアが弓の手入れをする手を止めてつぶやいた。その声には、どこか自分の過去を懐かしむような響きがあった。
「歌なんて、私たちには遠い存在だったからね」
ニナも焚火を見つめながら言う。 しかし、ゼフィルは焚火をじっと見つめたまま、重々しい口調で口を開いた。
「なぜ、この地なのだろうな……」
彼の言葉に、全員がその横顔に視線を向けた。
「アースティア。この地に送られてきたのであれば、きっと何かの意図があるのだと思う」
ゼフィルの声は深い。焚火の明かりに照らされたその横顔には、数々の苦難を越えてきた男の風格が滲んでいた。
「意図……か」
ライアが寝ているクウォンを慈しむような目で一瞥して言った。
「ねえ、知ってる? 彼、枝の最北端の岬に建物ごと転移してきたんだって」
「な、あんな場所にか?」
ニナが驚いて声を上げた。 落ちた枝の最北端――終焉領域と呼ばれる場所だ。その場所は第0枝の中でも最もエーテル濃度が高く、エントリアの住人でさえ立ち入ることができる者は限られている。そのような過酷な場所に、住んでいた世界の建屋ごと転移してきたという事実。それが偶然ではなく、何らかの意図を持って実行されたと考える方が自然だった。
「それに彼、一般人じゃないでしょ?」
ライアが続けた。その口調は、ある程度の確信を持っている響きだった。
「……そうね。クウォンの戦い方、少し違和感があったわ」
メリアが腕を組み、焚火の炎をじっと見つめる。
「初めて魔獣と戦う者なら、もっと恐れや動揺が見えるはず。でも彼には、それが感じられなかった」
メリアが腕を組み、焚火の炎をじっと見つめる。まるで、その中に答えを探すかのように。
「ゼフィル、あなたはどう思う?」
盲目の彼はしばらく黙っていたが、やがて静かに頷いた。
「俺も感じていた。今日の初めての魔獣との戦いでの冷静さも異常だが……それ以上に、だ」
ゼフィルは、鍛冶場にいるニナの方へ顔を向けた。
「ニナ、アスタギアのテストの時、クウォンと軽くやり合ったんだったな?」
「ああ。とはいえ、軽い動作確認のつもりだったんだけどな……」
ニナは肩を竦める。
「正直、驚いたよ。あいつの動き、魔獣相手のものじゃなかった。あれはまるで……」
「まるで?」
ライアが促す。
「あいつの動きは、完全に『対人戦』のそれだった。射線を切りながら不規則に動いて、銃撃で牽制し、こちらの死角に滑り込む。姿勢を低くした突きは、防具の隙間を狙う動きだ。あれは『獣』を狩る動きじゃない。『人』を殺すための、最適化された技術だ」
その一言に、焚火を挟んでいた皆が静かに考え込む。
「……そうね」
メリアが慎重に言葉を選びながら答えた。
「今日の魔獣戦でも感じたわ。初動こそ戸惑っていたけれど、一度戦いに入れば、その動きはあまりに整然としていたわ。まるで……そう、『馴染んでいた』のよ」
「ああ」
ゼフィルが短く答える。
「あれは、生きるか死ぬかの状況に、過去に何度も身を置いた者の動きだ」
メリアが続けた。
「私たちが狩人として経験で学ぶ『命の境界線』を、彼は最初から知っていたようだった」
「彼はどこかで戦ってきたんだ。しかも、ただの狩りじゃない。相手は……」
「同じ人だった可能性が高いな」
ゼフィルが続ける。
「そうでしょうね」
メリアが低く頷く。 ライアがクウォンの寝顔を見つめ、少し複雑な表情を浮かべる。
「……それってつまり、彼はどこかで戦場にいた、ってこと?」
その問いに、焚火の薪が爆ぜる音だけが返ってきた。
「今日の戦いを見ても感じたが、おそらくあの子はどこかで命のやり取りを経験している。戦いでの立ち振る舞いは戦場に立つ兵士そのものだ……。本当に視ていて胸が詰まる」
焚火が小さく爆ぜる音が響く中、ゼフィルの言葉は重々しく胸に沈み込む。その声には苦々しさが滲んでいた。
「彼がどんな過去を持っているのかはわからないけれど、ここならばどんな柵も過去も彼を追ってこられはしない。だからこそ、このエルミナスで彼が望む未来を見つけてほしい。それに、私たちのような過去を背負う必要はない」
ライアが静かに言った。その声には願いが込められているようだった。
「そうね。それに彼は私たちのように『落ちて』ここに辿り着いたわけではないのだから」
メリアが頷きながら続ける。
「第0枝で生きる私たちにとって、ここは『終わりの地』だ。だが、クウォンは違う。クウォンはここから始めるんだ。クウォンはこの地で初めての『終わりから始めていく旅人』になるのかもな」
ニナの言葉が静かに響く。第0枝で暮らす多くの者たちは、さまざまな事情の果てに辿り着く。だが、クウォンは逆だ。ここを起点に、新たな旅を始めようとしている。その事実が、彼の存在を特別なものにしていると感じさせる。 ゼフィルは焚火の炎を見つめながら、静かに言った。
「俺たちにできることは少ないが、それでも、あいつの未来が少しでも明るいものであるよう、手を貸してやりたい。それが俺たちの役目だ」
誰も返事はしなかったが、全員がその言葉に深く頷いていた。静かな森の中で、彼らの声は焚火とともに夜に溶け込んでいった。 クウォンが静かに眠る中、フェルガンたちの思いが、暗闇の中で静かに交わされていった。



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