第34話 閉ざされた視界、闇に浮かぶ粒子

 朝の涼しい風が訓練場を吹き抜ける中、ゼフィルが訓練場の中央で待っていた。彼の前には、長さ1メートルほどの太い枝が置かれている。その表面は節くれ立ち、見ただけで硬度の高さが伝わってくる。

「おはようございます」

 訓練場に足を踏み入れながら声をかけると、ゼフィルが静かに頷いた。

「来たか。先日言った通り、今日は少し特殊な訓練をする」

 彼は目隠しをつけたまま、枝を軽く指で叩いた。

「これを見ろ」

「これは枝……ですか? 普通の木の枝には見えませんけど」

 近づいて触れた瞬間、普通の木とは異なる硬さが指先に伝わる。

「これはダークトレントの枝だ。ダークトレントは木の魔獣で、外部からの法理術がほとんど通らないほど特殊な性質だ。イグドライドほどではないが、硬度も非常に高い」

 ゼフィルは淡々と説明を続けた。

「法理術が通らない……そんな素材が存在するのか」

「ああ、だから、今日の訓練にうってつけなのさ」

 彼は赤枝を指しながら言った。

「お前にはまず、この枝を攻撃してその難しさを体感してもらう。まずはその枝を全力で攻撃するんだ。手段は問わない」

 そんなゼフィルの言葉に赤枝を握り直し、試しに光刃を展開して攻撃を試みた。刃を正確に振り下ろすと、金属音のような響きとともに、枝の表面に小さな傷がついただけだった。

「硬っ……もう一度!」

 そう言ってもう一度攻撃を加えるが、結果は同じだった。

「力任せでは切れない」

 ゼフィルが静かに言う。

「ダークトレントの枝は、エーテルの流れを利用して外部の衝撃を緩和する。普通の方法では通らない」

 彼の言葉を聞きながら、自分は赤枝を構え直した。

「じゃあどうすれば……」

「見ていろ」

 ゼフィルは剣をゆっくり構え、枝に意識を集中させる。その動作は静かで、無駄が一切ない。そして次の瞬間――

「ッ!」

 彼の一閃が枝を貫き、滑らかな切断面を残して両断した。

「エーテル視を極めると、物質内部のエーテルの細かな流れが見える。それを視て断つことで、こうして切断が可能だ」

 ゼフィルが切断された枝を手に取りながら説明する。

「エーテル視……」

 その技術の奥深さに息を呑む。

「それを身につけるために必要なのがこれだ」

 ゼフィルはポケットから目隠しを取り出し、手渡してきた。

「これは……?」

「ヘレナ先生に頼んで作ってもらったお前専用の目隠しだ。これを装着して視覚を完全に遮った状態で、エーテル感知を行う訓練をする」

 前に一度試しにゼフィルの目隠しを装着したことがあったがおそらく同じものだろう。とりあえず渡された目隠しを装着すると、当然のように視界が完全な闇に包まれる。その瞬間、耳に届く音や足元の感覚が鮮明に意識に入ってくる。

 だが、それだけではない。集中すると、体の周囲を取り巻く奇妙な空間が感じ取れるようになった。まるでVRゴーグルを使ったスキャンデータの点群に自分が溶け込んでいるような感覚だ。何も見えないはずなのに、周囲の物の輪郭や位置がぼんやりと浮かび上がる。

「これは……」

 思わず声が漏れる。

「それがエーテル感知の初歩だ。視覚を遮断すると、エーテルの流れがより明確に感じられるようになる」

 ゼフィルの声が闇の中で低く響く。

「これがエーテル視……?」

 手を伸ばし、目の前にあるダークトレントの枝にそっと触れる。すると、視覚なしでもその形状や質感が、脳内に立体的に浮かび上がるような錯覚を覚えた。視覚に頼らない世界が、少しずつ開かれていく。

「今はまだ輪郭を感じる程度だろうが、訓練を重ねればエーテルの流れまで捉えられるようになる。そして最終的には、目隠しなしでも自然に感知できるようになるはずだ」

 訓練を終え、目隠しを外すと、ゼフィルが真剣な表情でこちらを見ていた。

「これを身につけて日常生活でもできる限りつけてみろ。視覚に頼らず、他の感覚で世界を捉える練習をするんだ」

「日常でも……ですか?」

 戸惑いながら問い返す。

「ああ。短期間で身につけるにはそれしかない」

 ゼフィルの声には、師としての強い意志が込められていた。目隠しを見つめながら頷いた。

「わかりました。やってみます」

「成人までの時間は限られている。俺が伝えられる技術は多くないが、これだけは確実に身につけてもらう」

 その言葉に、改めてゼフィルの覚悟を感じた。彼の期待に応えるためにも、この新たな挑戦を全力で受け入れるしかない。こうして、視覚に頼らない感覚を鍛えるための訓練が始まった。

 ◇    ◇    ◇

 目隠しをつけた生活が始まって数日、可能な限り目隠し型補助具で目を覆って生活をするように心掛けている。

 しかし、どうしても視界を奪われた不自由さには未だ慣れない。8Kや16Kの高解像度カラーテレビから、一気に昭和時代の白黒でノイズ混じりの低画質テレビになったような感覚、と言えば伝わるだろうか。見えないことはないのだがそれなりに見ていて神経を使うのだ。

 今日も今日とて目隠しをして診療所に向かっている。その途中で、ヘレナ先生とちょうど出会う。

「クウォン君、調子はどうだい?」

 彼女は目隠し姿の自分を見て、少し笑いながら尋ねてきた。

「正直、思った以上に難しいです。視覚が塞がれると、今まで頼りにしていたものが何も使えなくなるので……」

 そう答えると、ヘレナ先生は優しい声色で言う。

「視覚を奪われると、他の感覚に頼るしかなくなる。だけど、その状態だからこそ、エーテルの流れに意識を集中させることができるんだよ」

 彼女が軽く目隠しの縁に触れて、説明を続けた。

「知っているかいクウォン君。人は体のどこか不自由な部分がある場合、その機能を補うかのように別の部位が発達することがある。例えば足が不自由な者が、日常的に杖や車いすに頼って生活を送っていると、当然足を使えない分腕や上半身を代わりに酷使することになる。結果、常人の何倍も強い腕力を持つようになることがある。これは一例だが、ゼフィルのように視覚を失うことで代わりに別の感覚器官が発達することもあるのさ」

 なるほど。それは確かに納得できる。一緒に狩りをしている時にも感じたが、エーテル視に限らずゼフィルは聴覚も優れている。それはヘレナ先生の言うように視覚を失った代わりに周りの器官がそれを補うかのように発達したからだろう。

 そして、今自分がやっている訓練もある意味ではそれに近い。視覚という感覚器官を意図的に遮断することでエーテルを感じる器官の発達を促す。なかなか理にかなっている。

「エーテル視ができるようになると、戦いの場面で大いに役に立つ。なぜなら、万物にはエーテルが流れているからだよ。その流れは、物体の属性や強さによって異なる。それを視ることができれば、攻撃の要所や防御の弱点を瞬時に見極めることができるんだ」

「なるほど……だからゼフィルさんはあんなに強いんですね」

 自分が感心して言うと、先生は静かに頷いた。

「そうだ。彼はエーテル視を極めているからこそ、物質の細かい流れまで見通せる。だが、あの目隠し補助具がなければできないわけではないよ」

「え?」

 意外な言葉に、自分は思わず聞き返した。

「あの目隠しは、エーテル視を日常的に使う際の負荷を軽減するためのものだ。ゼフィルはそれがなくても、十分にエーテル視で世界を見ることができる。ただ、負荷が高い状態で長時間使うと身体に影響が出るから、補助具をつけているだけなんだ」

 その説明に、自分は深く納得した。

「そうだったんですね……」

「だから君も、日常で無理をせず、少しずつ練習を続けるといい。感覚を磨くには時間が必要だが、確実に進歩するはずだよ」

 先生の優しい言葉に励まされ、自分は再びエーテルの流れを感じ取ることに意識を向けた。

 ◇    ◇    ◇

 研究棟の静寂の中、ディスプレイの光だけが薄暗い部屋を照らしている。那由多の落ち着いた声が穏やかに響いた。

「クウォン=クラシナ、次の学習モジュールを開始します。エルミナスの応急処置におけるエーテル流動の基礎についての説明です」

 画面には、マナとエーテルの流れを示す人体図が表示されていた。それをじっと見つめながら、指で軽くスクロールする。

「……なるほど。エーテルの流動が滞ると、法理術による治癒も効果が減少するわけか」

「その通りです。特にエーテルの過剰蓄積や流動の乱れが発生した場合、適切な手技による調整が必要となります」

 那由多が冷静に答えた。

「んー」

 軽く伸びをしながら、赤枝を横に置く。

「ここまで理解できたし、一旦休憩しよう」

「学習進捗は順調です。次のセッションは『複雑なエーテル流動への介入手法』についてですが、今は休憩を推奨します」

 那由多が柔らかく応じる。その言葉を聞きながら、ポケットから目隠しを取り出して指でなぞった。

 ゼフィルから受け取った補助具は、最初はただの視覚制限のためのものだと思っていた。しかし、数日間使ってみると、視覚以外の感覚を研ぎ澄ますことの重要性が少しずつ分かってきた。

「そういえば……那由多」

 軽く咳払いをしながら尋ねた。

「今、視覚に頼らずエーテル視を鍛えるために、日常生活で目隠しをしてるんだ」

「興味深い訓練ですね」

 那由多が即座に反応する。

「エーテル視の訓練は、視覚情報を排除することで他の感覚の感度を向上させるという理論に基づいているのでしょうか?」

「そうらしい。ゼフィルさんが言うには、視覚に頼りすぎているとエーテルの流れをうまく感じ取れないらしくてさ」

 そんなことを言い、目隠しを手に取りながら続ける。

「実際、目を塞いでみると最初は何も感じられなかった。でも、しばらくしてから、かすかに周囲のエーテルの流れみたいなものが分かる気がするんだ」

 那由多は短く処理時間を置いてから応じた。

「それは地球における『感覚遮断訓練』と類似しています。視覚情報を遮断することで、触覚や聴覚、さらには体性感覚が向上することが確認されています」

「感覚遮断訓練?」

「例えば、暗闇の中での訓練や、特殊な浮遊タンクを用いた感覚遮断技術がそれに該当します。地球では軍事や特殊作戦部隊、さらには一部の瞑想技術として活用されています」

「へえ……」

 腕を組みながら考え込む。

「つまり、エーテル視を鍛えるのに目隠しを使うのは、地球の技術と通じるところがあるってことか」

「ええ。脳は視覚情報を主に処理するため、それを制限すると他の感覚の処理能力が相対的に向上するという理論です」

 那由多は続ける。

「それに、エーテル視は単に『見える』ものではなく、空間全体を認識する能力と考えれば、視覚を使わずに鍛えるのは理にかなっています」

「なるほど……じゃあ、この訓練、結構意味があるんだな」

「継続すれば、戦闘や探索だけでなく、医療分野においても有用なスキルになるでしょう」

 その言葉に背中を押されるような気がした。エーテル視の訓練が、ただの戦闘技術ではなく、医療にも応用できるのなら、それは自分の目指す道にも大きく寄与する。

「ありがとう、那由多」

 微笑みながら画面を見つめた。

「やる気が出てきたよ」

「お役に立てて光栄です」

 ◇    ◇    ◇

 学習を終え、村へ戻る準備をしようと目隠しを取り出し、ゆっくりと装着する。視界が塞がれ、かすかにエーテルの流れが意識の隅で感じられるようになる。

「さて、戻るか」

 静かに呟きながら、エッタのいる隣の部屋へ向かった。部屋の扉を開けると、エッタの楽しそうな声が聞こえてきた。

「……それで、地球ではこの『カフェ』っていう場所で、みんなが集まってお茶を飲むのね?」

「はい。カフェは、社交や作業、時には単なる休憩の場として機能します」

 那由多が淡々と説明している。扉の前で一瞬立ち止まる。エッタが那由多と会話をしているのは知っていたが、まさかこんなに楽しそうに話しているとは思わなかった。

 一応大学に来るときはエッタに付き合ってもらうことが多いのでエッタにも那由多と対話できる権限を与えている。これはプライベートなモードに設定してあり、対話した内容は自分にも漏れないようになっている。

「へえ、面白いわね。エルミナスにも似たような場所はあるけど、あまり広くないし、みんなが長く滞在する場所ではないのよね」

 エッタが興味深げに言う。

「エッタ、楽しそうだね」

 声をかけると、エッタがぱっと振り向いた。

「あっ、クウォン。ちょうどいいところに来たわね」

 エッタは微笑みながら続ける。

「地球のことを那由多に聞いてたの。すごく面白いのよ」

「そうだったんだ」

 那由多の画面を見ながら頷く。

「まあ、地球の文化はエルミナスとかなり違うからな」

「ええ。でも、こうやって聞いてみると、意外と共通点もあるのよ」

 エッタは楽しそうに言う。

「例えば、市場の仕組みとか、人々が交流する場所とかね」

 そんなエッタの様子を見て小さく笑った。

「確かに。文化の違いはあれど、人が集まる場所やコミュニティの形は、意外と似てるのかもな」

「私も地球のことをもっと知りたいわ」

 エッタが興味津々な表情で言う。

「そのために、私を活用してください」

 那由多が自然に応じる。

「……まったく、お前も気に入られてるな」

 画面の那由多を見つめながら苦笑する。

「私に与えられた役割は、情報を提供し、サポートすることですから」

 那由多は変わらぬ落ち着いた声で答えた。

 軽く頷くと、「じゃあ、そろそろ村に戻るか」と言って立ち上がる。

「そうね。今日は色々と面白い話が聞けたし、楽しかったわ」

 エッタも席を立ち、那由多の画面に向かって微笑んだ。

「ありがとう、那由多。また話しましょう」

「いつでもどうぞ」

 那由多が応じる。こうして、エッタと村へ戻る準備を整え、研究棟を後にした。

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