第20話 アーシャの刻限、癒やし手の資格

 朝食の場には、エッタが用意してくれた焼きたてのパンと、ハーブの香りが漂うスープが並んでいた。席に着いた瞬間、昨日の出来事が脳裏に浮かんだ。初めての魔獣狩り、通過儀礼、そしてあの独特の緊張感――全てが新鮮で、そして圧倒的だった。手を伸ばしたスープから立ち上る湯気をぼんやりと見つめながら、自然と息が漏れる。

「クウォン、どうしたの?」

 エッタがスープの器を手に取りながら、柔らかく笑った。

「あ、いや……先日の通過儀礼のことを思い出していてね」

 スプーンを握り直しながら答える。

「その話は聞いているけど、大変だったみたいね。通過儀礼だけでも十分厳しいはずなのに、その後、中位魔獣の狩りにまで参加するなんて……正直、予想してなかったわ」

 エッタの言葉に、少し驚きを隠せない。

「うん、正直、自分もそんな展開になるとは思っていなかったよ。でも、ゼフィルさんたちが『もう少し行ける』と判断したみたいで……」

 ジードさんがスプーンを置き、眉を上げる。

「中位魔獣の狩りに参加か……ゼフィルがそう判断したのなら、無茶ではなかったのじゃろう。あの男、フェルガンの世界では知らぬ者はおらん。厳しいが、その分、見る目も確かじゃ。軽い気持ちで誰かを狩りに連れて行くような男ではないからの」

「そうなんですか?」

 目を丸くして聞き返すと、ジードさんは深く頷いた。

「そうじゃ。奴は厳しいが、その分、見極める目は確かじゃ。力不足の者を無理に連れて行くようなことはしない。つまり、おぬしは間違いなく戦力として見られておったということじゃろうな」

 エッタも真剣な表情で頷く。

「それにしても、あのメンバーに気に入られるなんてすごいわよ。ゼフィルだけじゃなく、メリアもライアもあまり人を信用しないタイプだから」

「なるほど……」

 そう言いながらも、やはり自分のしたことが評価された実感は湧かない。でも、それを思い返しているうちに、あの場に立てたのはエッタやジードさんのおかげだという思いが強まった。

「ジードさん、エッタさん。今回の通過儀礼にゼフィルさんたちと同行させていただいたこと、本当に感謝しています。自分一人では、きっとこんな経験はできませんでした」

 エッタが少し照れたようにパンをちぎりながら答える。

「感謝するなら、自分が頑張ったことを誇りに思いなさい。私たちはただ後押ししただけよ」

 ジードも満足げに頷いた。

「その通りじゃ。自信を持つといい。お前はちゃんと役割を果たしたんじゃからな」

 そんな会話をしていると、ふと、昨夜のギルドでのやり取りを思い出した。フェルガン見習いになるには成人の資格が必要――そのためには、まず自分のアーシャ齢を確認しなければならない。

「そういえば……昨日ギルドで、フェルガン見習いになるにはアーシャ齢の確認が必要だって話を聞いたんです。自分はまだ成人に達していない可能性があるみたいで……」

「成人?」

 エッタがスプーンを止め、こちらを見た。

「そういえば……あなたのアーシャ齢を測ったことってなかったわね」

 ジードさんも「ふむ」と唸り、腕を組む。

「エーテリッド処置の影響がどれほどか、正確には誰にもわからんからの。おぬしの実年齢と、アーシャ齢にどれほどの差があるか……測ってみるまでは何とも言えんじゃろうな」

「旅や魔獣狩りをするには、成人になってフェルガン資格を取る必要があると聞きました。なので、まずは自分のアーシャ齢を知る必要があるとか」

 少し緊張しながら言葉を続ける。  エッタは真剣な表情で頷いた。

「その通りよ。クウォンがこれからエントリアで生活していく上でも、旅に出る上でも、アーシャ齢を知ることは大事だわ」

「そういえば……この世界では女性に年齢を聞くのは失礼なんでしょうか?」

 軽く冗談交じりに尋ねてみた。エッタは思わず吹き出した。

「何それ? アースティアの故郷では女性に年齢を聞くのが失礼にあたるの? こっちではそんなこと気にする人はいないわよ。ちなみに私はアーシャ齢で22歳くらいよ」

「22歳……?」

 つい声が上ずる。エッタの見た目からは全然そうは思えない。

「長命種だから、見た目と年齢が一致しないのは普通よ。私は22歳だけど、見た目じゃそう見えないでしょ?」

 そう言って、エッタが少し悪戯っぽく笑う。

「ジードさんは?」

「わしはアーシャ齢で70くらいじゃが、まだまだ若いぞ」

 ジードさんが得意げに笑い、腕を組む。

「本当にこの世界の種族はすごいですね……」

 二人を見比べながら、心から驚嘆する。  ジードさんが穏やかに笑い、「まぁ、この世界じゃ歳を重ねてもまだまだ若い者が多いからのう」と言いながら、スープを口にした。そして、ふとこちらに視線を向ける。

「ところでクウォン、お前の言う通りアーシャ齢についてはっきりさせねばならんのう」

 その言葉に、自然と背筋が伸びる。

「あ、そうですね。今日ヘレナ先生のところで測る予定です」

 そう答えると、ジードさんがゆっくりとスプーンを置き、少し真剣な表情になった。

「ふむ。実はの、ヘレナ先生からお前に関する提案を受けたんじゃ」

「提案……ですか?」

 意外な言葉に目を見開いた。ジードさんは静かに頷く。

「おぬしがこの村で何をすべきか、わしも考えておったところ……ちょうどヘレナ先生から興味深い話があっての」

「興味深い話?」

「詳しくは先生から直接聞くのがよかろう。だが、安心せい。わしから言えるのは……おぬしにとって、新たな道を開く機会になるということじゃ」

「ヘレナ先生が……?」

 ますます気になる。

「うむ、ちょうどアーシャ齢を測るために病院に行くようじゃし、ヘレナ先生本人に聞くのがよかろう」

 ジードが穏やかな声で締めくくった。

「……わかりました」

 内心少し不安だったが、ジードの信頼する提案なら受け入れるべきだと思った。 「話をしっかり聞いてみます」

 エッタも軽く頷きながら笑みを浮かべる。

「きっとクウォンに合った内容だと思うわ。まずは先生のところに行きましょう」

 こうして、エッタと共に診療所へ向かう準備を始めた。

 ◇    ◇    ◇

 診療所の扉を開けると、ハーブの香りが鼻をくすぐり、目の前には薬瓶が整然と並ぶ棚が見えた。中ではヘレナ先生が何やら書類を整理している。予告もなく訪ねてしまったけれど、大丈夫だろうかと少し気まずさを覚えながら声を掛けた。

「ヘレナ先生、おはようございます」

 先生は書類から顔を上げ、少し驚いた表情を見せた。

「おや、エッタ君にクウォン君じゃないか。こんな早くからどうした?」

「実は、アーシャ齢の計測をお願いしたくて来ました。昨日、メリアさんから成人年齢の話を聞いて……自分がそれに達しているかどうかを確認しなければと思いまして」

 その言葉に、先生は「なるほどね」と頷き、棚に書類を戻した。

「確かに成人年齢は、フェルガンの資格を取る上でも重要だな。……とはいえ、君から来るのは少し意外だったぞ」

「どういうことですか?」

 少し首を傾げる。

「ほら、君はエーテリッドを受けたばかりだっただろう? 処置を受けたばかりの体は、しばらくの間マナの循環が不安定になりやすい。だから、通常なら数ヶ月ほど経過を見てから成人判定をするんだ。君の場合はもう落ち着いているようだから、問題なく測れるはずだよ」

 ヘレナ先生は軽く肩をすくめながら、手元の道具を取り出した。診察台に座らされ、腕にエーテル計測装置を装着される。ランプのように淡い光を放つ装置が、体の中を読み取るように振動し始めた。

「この装置で君の体内のマナの循環状況を確認する。マナの流れやエーテルの劣化速度を測ることで、君の肉体年齢――つまりアーシャ齢を割り出すんだ。痛みはないから安心してくれ」

 そう言いながら、先生は計測の準備を進める。ただ、計測機器の設定に若干手間取っているようだった。

「先生、この診断、よくやられているんですか?」

「まあ、似たようなことはするぞ。でも、君のような特殊なケースは少ない。エーテリッド処置を受けている上に、君はアースティアだろう? そもそも、この世界の住人と基準が違う可能性もあるからな」

 先生は冷静な口調で説明しながら、装置を微調整する。しばらくすると装置が音を立て、計測結果が表示された。先生は画面を覗き込み、頷きながら確認している。

「さて、クウォン君、結果が出たぞ」

 先生が腕を組みながらこちらに顔を向けた。 「君のアーシャ齢は概ね19歳といったところのようだ」

「19歳……」

 その数字に、思わず息を飲んだ。エルミナスの基準では、成人にはあと少し足りない。

「そう、厳密には19歳と半分くらいといったところかな。多少は前後するがあと1年半くらい経てば成人に届く感じだな。成人していないと、旅に出るにはちょっと難しいが、逆に考えれば君には1年半くらいの猶予があるということだ」

 先生はあっさりと言うが、自分にとってその「1年半」は重く感じられる。

「……1年半ですか」

 少し視線を落として呟いた。歌を学ぶ旅に出る夢がまた遠のいてしまった気がした。

「まあまあ、そう気を落としなさんな。長命種になった君にとって、1年半なんてあっという間さ」

 先生は軽く笑いながら肩を叩いてくる。後ろからエッタが声を掛けてきた。

「そうよ、クウォン。1年半なんてすぐよ。それに、まだこの世界で学ぶべきことはたくさんあるんだから、焦らずに準備を整えなさい」

 エッタが優しく微笑みながら言う。  でも――1年半。  長命種になった以上、数年なんて誤差のはずだ。でも、それでも今の自分にとっては、途方もなく長い時間に感じられる。そんなことを考えていると、エッタがふっと笑みを浮かべ、これ見よがしに頭を撫でる。

「ほら、まだ『お子様』なんだから、しっかりお姉さんに頼るのよ?」

『異界の月のソプラニスタ』の挿絵。創作ファンタジー小説

 ぐっ……! 完全にわざとだ!  エッタのアーシャ齢は23歳。これで明確に年齢の上下関係が決まってしまったわけで、何か反論したいが、何を言っても言い訳にしかならなさそうだ。

「……わかりました。ありがとうございます」

 深く息をつき、気持ちを切り替えるしかなかった。

 ◇    ◇    ◇

「それで、先生。ジードさんが先生から提案があると伺っているのですが」

「ああ、その件か。うん、結論から言うとクウォン君、君に光属性を持つ法理術士として、この村で私の医療活動を手伝ってほしいんだ」

 ヘレナ先生が机の上の資料を片付けながら、静かに口を開いた。

「手伝い……ですか?」

 医療についてはほとんど知らない自分が、どれだけ役に立つのか見当もつかない。戸惑いを隠せないまま尋ねる。

「その反応を見るに、君はこの世界の医療事情についてほとんど知らないんだな」

 先生は少し苦笑しながら資料を取り上げた。

「まあ無理もない。地球から来た君にとっては、すべてが未知の領域だろう」

「ええ……正直に言えば、まったく分かりません」

 正直に答えると、先生は資料を机に置き直し、こちらに視線を向けた。

「よし、じゃあ基礎から説明しよう。まず、法理術を使った医術というのは、この世界の医療の中核だ。だが、便利である反面、属性が絡むというややこしい事情がある」

 先生は腕を組みながら、ゆっくりと続けた。

「属性、ですか?」

「そうだ。法理術の治療効果は、医者と患者の属性が一致している場合、最大限に発揮される。しかし、属性が異なる場合、特に『対立属性』の場合には、マナの変換ロスが発生して治療効率が落ちる」

「……ということは、すべての患者に対応できる数の医者が必要なんでしょうか?」

 少し考えながら質問する。

「それは確かに理想的だが流石にそれは無理だよ」

 先生は肩をすくめて笑った。

「普通の医療機関では、一般的なエーテル耐性を持つ患者なら、多少の属性の違いは問題にならない。それでも十分対応できるんだ」

「じゃあ、この村では……それが違うんですか?」

 先生は真剣な表情で頷いた。

「その通り。この第0枝の住人たちは君も含めてエーテル耐性が非常に高い。高濃度エーテルの環境に適応している分、外部からのエーテル干渉に対する抵抗力が強い。これが、治療にも影響を与えるんだ」

「つまり、治療にも……耐性を示してしまうんですね」

「そういうことだ」

 先生は薬瓶を指さしながら続ける。

「一時的にエーテル耐性を下げる薬剤を使う方法もあるが、それは患者に負担が大きいし、全員に適用できるわけじゃない。だから、属性をしっかり考慮した治療が重要になる」

「なるほど……それで光属性なんですね」

 光属性の特性について、以前教わったことが頭をよぎる。

「その通りだ、クウォン君」

 先生は満足げに微笑む。

「光属性は『上位属性』で、どの属性とも相性が良い。変換ロスが少ないうえに、『活性と循環』を司る力が、医療に非常に適している。もう少し詳しく言うと、患者の体に流れるマナの流れ、詰まった川を浚渫するようなものだ。濁りを浄化し、流れを整え、再び巡らせる。この技術体系は循環調律科――スピラセラピー(Spiratherapy)と呼ばれている。需要は多いが、これに本格的に精通した医者は少ない。君が習得できれば、それは大きな戦力になる。……その重要性は、君もきっとこれから実感するだろう」

「なるほど」

 少し考えながら、ふと自分の目標を思い出す。

「でも……自分はフェルガンの資格も取りたいと思っています。資格があれば、狩りの活動もしたいです」

 借金もそれなりにあるので早く返して、エッタやジードさんへの恩返しもしたいところである。その言葉に、先生は腕を組んで頷いた。

「もちろん、それは分かっている。だが、狩りの頻度は思っているより低いぞ。この村にいるフェルガンも、多くて10日に一度狩りに出る程度だ。それ以外の時間は、それぞれ本職に従事している」

「本職……?」

「そうだ。出稼ぎ組でないエントリアにいるフェルガンの多くは、狩りだけで生活しているわけじゃない。たとえば、ゼフィルは警備隊の隊長だし、ニナは鍛冶師だ。それぞれ本業があって、それを中心に生活している」

「なるほど……そういうことだったんですね」

 自分の中で、フェルガンのイメージが少しずつ修正されていく。

「だから、君も狩り以外の時間を有効に使えばいい」

 先生は真剣な表情で続けた。

「君にはメディノーシュ(準医師)としての資格を目指してもらいたい。これは医療試験に合格した者に与えられる資格で、実務経験が一定に達するまで限定的な医療行為だけが許可される立場だ。言ってみれば、現場で学びながら腕を磨くための正式な“通過点”だよ」

 つまり筆記や技能の試験は通っているが、まだ一人前とは言えない、そんな立場らしい。

「この村の医療体制は慢性的な人手不足だ。だからこそ、意欲ある者にはできるだけ早く現場で経験を積ませる必要がある。君にも、私の下で治療の手伝いをしながら、エルミナスの医術を身につけてほしいんだ」

「それに加えて――」

 先生は少しトーンを変えた。

「君の地球の知識を活かして、私の研究をサポートしてほしい」

「研究ですか?」

 その言葉に少し肩が重くなる。

「そうだ」

 先生は資料をめくりながら淡々と言った。

「私の研究では、光属性の持つ『活性と循環』の特性を活かした治療法を模索している。だが、そもそも光属性を扱える人材が少なく、まとまったデータも不足しているんだ」

 先生は手元の資料を示しながら続ける。

「そこで君の協力が必要になる。光属性の適性を持ち、さらにアースティアの知識もある君なら、今までにない視点で治療の手助けができる可能性が高い」

 なるほど。つまり、単なる「お手伝い」ではなく、光属性を活かした新しい治療法の開発に関わるってわけか。  手を動かすというより、データ収集と検証への協力。そう考えれば少しだけ現実味が湧いてくる。

「……でも、自分は医学生でもないし、医療の知識もほとんどありません」

 不安を隠せず、思わず言葉が口をついて出た。  治療なんて、今まで考えたことすらなかった。地球では、病気になれば病院へ行けばよかったし、怪我をすれば応急処置をするくらいだった。そもそも、自分が誰かを治療する立場になるなんて、まったく想像もしていなかったのだ。

 ヘレナ先生は軽く肩をすくめ、「それは最初から期待していないさ」と微笑んだ。

「むしろ、君がゼロから学ぶ立場であることのほうが重要なんだ」

「どういうことですか?」

「クウォン君、君はアースティアの知識を持ち、光属性の力を使える。つまり、この世界の医療体系に新しい視点を持ち込める可能性があるんだ」

 先生は手元の資料を示しながら続ける。

「たとえば、先ほど言ったエーテル耐性を下げる薬も、もともとはアースティアの発想がヒントになったものだ。君の持っている知識が、この村の医療を発展させる可能性もある」

 なるほど。つまり、単に「手伝い」ではなく、新しい医療技術を考えるためのサポート役ということなのか。でも――本当にそんなことが自分にできるのか?  まだ少し不安は拭えない。  戦うことはできる。狩りも、法理術も、学べばある程度こなせる自信はあった。でも、治療は違う。誰かの命を預かる仕事だ。もしも失敗したら? 自分のミスで、誰かの命を救えなかったら? そんな責任、簡単に背負えるものじゃない。

 言葉にできない不安が、胸の奥で広がっていく。そんな様子を察したのか、エッタが軽く背中を叩いてくる。

「クウォン、私も悪くない話だと思うわ。旅をするなら、いつか仲間や誰かを助ける場面もあるでしょう。そのとき、この技術が役に立つはずよ」

 その言葉に、少し考え込む。たしかに、旅の途中で負傷した仲間を助ける機会があるかもしれない。そのとき、自分にできることが増えているなら、きっと役に立てるはずだ。

「……確かに」

 深呼吸をし、気持ちを切り替える。

「分かりました。できる範囲で協力させてください」

「その答えを待っていたよ」

 先生は満足そうに笑い、手を差し出した。

「一緒に頑張ろう、クウォン君」

 その手を握り返しながら、新しい一歩を踏み出す決意を固める。  歌に法理術にフェルガン、そして医者の手伝い。  学ぶことは想像以上に多い。しかし、こういった経験も、自分の成長の糧になると同時に、この世界での役割を果たす大切な機会になるはずだ。

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