朝、新たな日の光が部屋を照らす中、昨日買った服を身に纏って鏡の前に立つ。
この世界に来たときの服が、ジーンズとセーター、ジャケットだけだったので、さすがにまずいということになった。昨日アスタギアを手に入れる帰路、異世界ならではの衣服を求めて、エントリアの服屋を訪れたのだ。
エントリアの服屋は多種多様な種族に対応できるよう、多くのサイズを取り揃えていた。しかし、エントリアには自分と同じヒュミリスの服がほとんどないらしい。店員に勧められた服をいくつか試してみたけど、どれもこれも肩幅が広いか袖がダラダラと長いかで、正直どうにもならなかった。
やむを得ず別の種族の服でサイズが合うものを一通り試着した結果、一回り体の細い種族の女性用の服が一番合っていた。
しかし――やはり細部には女性向けのシルエットが色濃く残っており、なんとも言えない違和感があった。それでも他に選択肢がない以上、これを受け入れるしかない。
そして今日、改めて購入したエルミナスの服を着て、鏡で自分の姿を眺めているわけだが、なんとも表現しがたい感情に囚われる。
想像してほしい。自ら創造したキャラクターが、現実の己として具現化したなら――当然嬉しいだろう。しかし以前の自分の容姿がどれだけ醜く嫌っていたとしても、過去の自分を瞬時に捨て去り新しい自分の姿を自分として受け入れていけるものだろうか。以前の自分を嫌っていないのであればそれは尚更である。
特に視線を落とせば、そこにあるはずのない膨らみが、服の構造として存在している。そんなちょっとした不和を感じながら朝食へと向かった。
「クウォン、おはよう。ふふ、よく似合っているわ」
「おはよう、エッタ。……本当に変じゃない?」
「ええ、見た目はエルウィンの男の子ね。耳は尖っていないけど」
「エルウィン? 種族名かな?」
「ええ、ヒュミリスよりも線が細く耳が尖っているのが特徴よ。その服を薦めてくれた女性店員がいたでしょ? あの女性はエルウィンよ」
なるほど。自分はその女性をエルフだと思っていたが、エルミナスではエルウィンという呼称らしい。まぁファンタジー漫画で描画されているエルフという種族と相違ない印象だ。
「その服はエルウィンの女性用よ。胸の部分を男性用に手直ししようとしたのだけど……素材の特性上、あの膨らみだけはどうしても潰しきれなかったのよ」
「……やっぱりか」
鏡を見た時の違和感の正体はそれだ。胸部に設けられた緩やかな曲線。中に詰め物が入っているわけではないが、服自体が立体的に縫製されており、空洞であっても女性的なバストラインを維持してしまっている。常に膨らんで見えるわけではないのだが、姿勢次第では膨らんで見えてしまうというなんとも言えない状態なのである。

「でも動きやすいでしょ? 激しい動きや魔獣との戦闘でも使えるアカハガネグモの糸で作られている服なのですから」
「あ、やっぱり……というか、蜘蛛の糸? この服、蜘蛛の糸で作られているの?」
「ええ、そうよ。よく伸縮して丈夫な上に対法理術性能も高いアカハガネグモの服はエントリアの名産の一つよ。特にその胸の部分は心臓を守るために厚く織り込まれているから、下手に解くと防御力が落ちちゃうの。だから形状はそのまま残したわ」
なるほど、論理的な理由だ。
この服は、蜘蛛の糸で織られているらしい。驚くべきはその性能だ。軽量でありながら強靭で、さらに高い伸縮性を持つ。そして胸部の膨らみは、心臓を守るための積層装甲(ラミネートアーマー)のような役割を果たしているというわけか。
この素材が地球に存在していたら、工業分野でも革新的な発展をもたらしていただろう。
「……命を守るための機能美だと思えば、この膨らみも我慢できる……か」
自分にそう言い聞かせる。見た目は少々誤解を招きそうだが、魔獣の爪から心臓を守ってくれるなら安いものだ。
「この服の値段を考えると、少し気が重い。地球での生活なら、このクオリティの服にどれだけの額が必要なのか……嫌な予感しかしない」
胸の奥で重くなったような不安が、吐き出す息とともに微かに漏れた。地球では考えられないほどの性能を誇るこの服だ。きっと値札は、自分の想像を軽く超えているだろう。
「クウォン、お金の心配はわかるけど貴方が思っている以上にここは危険な場所なの。大樹の上に住む人たちはテネブラーネを終焉領域なんて呼んでいる人もいるわ」
「終焉……立ち入ったら帰ってこられないというニュアンスかな?」
「そういう面もあるわ。それにエルミナスでは、人も獣も死後はエーテルの海に還るとされているの。その流れの中で、テネブラーネのような高濃度エーテル域は、魂が還る場所――つまり『終焉の地』と考えられているのよ。まぁ住んでいる身からすれば失礼な話なのだけどね」
「終焉領域」と呼ばれる場所に住む気持ちを想像してみる。地獄を連想させるこの呼び名には、外部からの無理解と偏見が色濃く反映されている。もし地球のどこかに似たような場所があれば、きっとその住民も同じような屈辱を味わっているだろう。
「でも、その名が示す意味合いのすべてが嘘ではないわ。ここは高濃度エーテルに適応した人と獣の最果ての地。より強く、より早く適応した者でないと生き残れない魔境。クウォン、貴方はテネブラーネでも特にエーテル濃度の高い地に転移しながらこうして生き延びていることに感謝して生きて行けるだけの技能を身に着けるのが今の最重要課題よ」
その言葉からは死に直結するような行為を咎める親のような優しさを感じる。ここは素直にエッタの忠告を受け止めて置くべきだろう。
「うん、わかったよエッタ。これからも色々教えてくれると助かる」
「ええ、任せておいて。とりあえず、アスタギアと服装が揃ったから本格的に法理術の使い方について教えるわ。楽しみにしておいてね」
「お手柔らかにお願いします」
「ふふ、それはクウォン次第よ」
◇ ◇ ◇
朝食を終えてから早速エッタと共に法理術の練習場所である村はずれの訓練場所へ来た。訓練場所と言っても、空地に丸太のような棒が何か所かに立っているだけの場所なのであるが。
「ではクウォン。ヘレナ先生からも説明があった法理術の基本のマナとエーテルについて覚えているかしら?」
「えっと、確か海には高濃度のエーテルが含まれていて、空気中にもエーテルが含まれている。人はそれを取り込んで変換してマナとして蓄積、そのマナを使って望む現象を起こすのが法理術……っていう説明だったと思うけどあってる?」
「ええ、合っているわ。エーテルからマナへ変わっていく過程はもう少し段階があったりするのだけどそれは追々覚えていけばいいわ。まずはこのマナを認識してそれを使って法理術を起動する練習をするわ」
そう言うと、腰に下げている短剣を抜いて刀身を見せる。
「まずはプリセットされている法理術を起動する練習をするわ。プリセットされている法理術はマナの装填だけで起動ができるからまずはやってみましょう」
そう言うと、先日大蛇を倒したときに使った光の刃を飛ばした技をゆっくり再現してみせてくれる。
「意識を体の中に向けて巡るマナを感じて、その流れを右手を通って剣先へ」
マナが剣先に集まり始めたのだろう。短剣の剣先が少しずつ光を帯び始める。
「そのまま流れを強くして注ぐ量を増やす」
剣先の光はさらに強くなり、ぼんやりとした光が明確な輪郭を持ち始める。
「ここまでマナを装填したら、あとは放つ対象に向けて剣先に溜めたマナの堰を開放するイメージで――光の刃を飛ばす!」
纏っていた光が剣先を離れ、エッタの背丈ほどの大きさとなり立っていた丸太の棒を両断した。
「すごい……」
見るのは二回目であるが、そんな言葉しか出ない。直径三十センチメートルほどの丸太を一瞬で両断するのは地球の技術基準で考えても容易ではない。
爆破などの火器を使った方法でなく同じように両断する方法で言えば、CO2レーザーやファイバーレーザーを使用することで実現が可能かもしれないが、10kW級のファイバーレーザーでもかろうじて十秒以内に実現可能というレベルである。
「どうかしら? イメージは伝わったかしら?」
「イメージ自体はわかったけど、そもそも体の中にあるマナというものの実感がない」
「なるほど。アースティアはエルミテリスと違って、子供のころに自然と知覚するマナやエーテルの感覚を知らないのね。ではこうしましょうか」
そう言うと、エッタは訓練所から少し離れた林の中に自分を誘い、エッタは上着を脱いで薄着になる。
「クウォンも上着を脱いで、シャツ一枚になってくれる?」
「あ、うん」
言われた通り上着を脱ぐ。すると、エッタは自分の真後ろに立つと、こちらの手首を優しく掴んで抱きしめるように密着する。
いきなりのエッタの行動に驚くが、それ以上にエッタと薄着で密着しているという状況を否応なしに意識してしまう。
「ふぇっ?」
突然のエッタの行動に驚き、変な声を出してしまった。薄着であるがゆえにエッタの温かい体温と柔らかな感触が肌に伝わり、そちらに意識が集中してしまう。同時に状況に戸惑いを隠せず、体が硬直してしまう。

妖精族であるエッタは小柄でグラマラスとは言い難い体形ではあるが、こうして密着すると女性らしさを強く認識させられてしまう。
「……クウォン、体が強張っているわ。緊張しているのかしら? ふふっ」
こちらが意識していることにエッタは絶対に気付いている。自分とて健全な男子である以上、そういった機微に関しては察してもらいたいところである。
「エッタ、これでマナを使えるようになるの?」
「そうね。わかりやすい形で私の中のマナを動かすからクウォンは意識を私の体に向けてマナを感じてみて。体じゃなくてマナに、よ」
言っていることは理解したが、あえて最後に強調するあたり若干からかわれているようではある。
とりあえず、言われた通りに目を閉じて意識を背中と重ねた両手に向ける。
「ん」
すると、まるで水流が背中から流れ込むような、ふわりとした感覚が広がる。肌の表面ではなく、もっと内側をなぞるように、熱のようなものが流れ込んでくる――それは、エッタのマナだと直感的に理解した。
触感のように直接肌に触れる感覚ではなく、どちらかというと熱を感じるようなぼんやりとした感覚である。その感覚に意識を集中すると、確かに何かが自分に触れているのはわかる。そして背中から感じていたその不確かな存在が徐々に強くなってゆき、そしてそれが徐々に肩・腕と伝ってゆき最後には重ねているエッタの手のひらで止まる。
「これがマナよ。伝わったかしら?」
「……うん、少しだけわかった気がする」
エッタを通してぼんやりと触れていたものを、自分の内側に意識を向けると確かに同じようなものが存在することがわかる。
そして、それはゆるやかではあるが動いており、その動きを意識して方向性を与えることができる、という感触は確かにある。それは物理的なものを移動させるのではなく、どちらかというと水の入った袋を上から押してやり、望む方向に水を集めるといった感覚が正しい。
「エッタ、少し試させてくれ。理屈はわかった気がする。あとは実践で確認したい」
「どうぞ、あなたの思考と身体がどれだけ噛み合うか、見せてちょうだい」
そう言い、エッタが離れる。そしてまた上着を着てから訓練所に戻る。
深く息を吸い込み、体内に意識を集中させる。微かな感覚を捉えると、それを手のひらに送り出すイメージで丁寧に扱う。焦らず、だ。小さな変化でも見逃さないように、自分の身体と向き合う。
最初は開いた手のひらで水を掬おうとするように、押し出そうとすると集めたソレが指の隙間を通って、元に戻ってしまう。
「ふぅ……」
もう一度だ。今度は両手で包み込むように優しくソレを掬い、腕へと送り出す。するとソレは液体がホースを伝うように先へと進んでいく。そしてそのまま手のひらから持っていた赤枝に吸い込まれていく。
するとほんの少しではあるが、赤枝の切っ先が光り始めた。

「おお、これが」
「ええ、最初にしては悪くないわ。でも、ほら――今消えてしまったわね? 光刃を飛ばすにはまだまだ足りないのだけど、ちゃんとマナを装填できているわ」
「よし、このまま続ければいいのかな?」
「ええ、時間はかかるとは思うけど光刃を飛ばせるところまでマナを装填してみましょう。がんばってね」
エッタの激励を受け、少しだけやる気が湧いてきた。よし、がんばっていいところを師匠に見せるとしよう。そんな決意をし、引き続き赤枝へのマナ装填を続けるのだった。



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