第8話 旅人の歌、大樹の下にて

 病院から一旦家に戻って、ジードさんとエッタの三人で昼食を取った。

 妖精の家の食事ということで、蜜とか果実とか木の実を想像していたのだが、意外にも肉や穀物中心のしっかりした食事だった。……しかしこの肉、何の肉なんだろう。

「なるほど。戻って来たときは驚いたぞ。まさか先祖返りとは」

「そうなの。本当に驚いたわ」

 昼食を終えると、話は自然と午前中の話題へと戻った。

「いくらなんでも性別不明が過ぎるので、髪とか短くした方がいいかな」

「だめよ、クウォン。それは勿体ないわ!」

「えっと……?」

「黒髪というのはアースティアだけの特徴よ。こんな綺麗な黒の髪を切ってしまうなんて勿体ないわ」

「お、おう……」

 エッタの食い気味な言葉に気圧される。どうやらエルミナスには黒い髪はいないらしい。

「すると、アースティアは皆黒髪だったのでしょうか」

「いや、そういうわけではないぞ。わしの知っているアースティアは、一人は金色の髪でもう一人が黒い髪じゃった」

 なるほど。アースティアは必ず日本人、というわけでもないようだ。

「しかし、クウォン。エッタの意見ではないが、わしも髪はそのままにしておくのがよいと思うぞ」

「性別不明でもですか」

 本音を言うとこの状態は正直昔を思い出してしまい、若干辛い。誰にだって黒い歴史というものは存在するのだ。

「ああ、テネブラーネではほぼ聞かないが、国によっては男の若者が人さらいに遭うことは珍しくないと聞く。いずれ大樹を登ることがあるのであれば安全のためにそのままでいるほうがよい」

「若い男をさらう? 労働力としてですか」

「クウォン、昔はともかく、法理術が普及してからは労働力に男女差はないのよ」

 なんと。詳しく聞いてみると、エルミナスでは法理術があるため、男女の身体能力の差にあまり意味はない。そのため労働力に差はなく、純粋な法理術の行使できる能力に依存するとのこと。

 具体的な例を挙げると炭鉱労働などは肉体的に強い傾向にある男性ばかりのイメージだ。しかし、法理術の行使により性差が問題にならないくらいの性能を女性が出せるのであれば、炭鉱労働者の半分が女性になっていてもおかしくはない。性別の差という意味では実に平等な世界だ。

「それならばなぜ男性が狙われるのでしょうか」

「それは男性がかなり減ってしまったからよ」

「ふむ。戦争でもあった」

 日本に限らず、戦争により男性が多数動員され未帰還となり、結果男女比が大幅に偏ってしまうことがある。日本も戦後すぐはその偏りにより、一人の男性が複数の妻を迎えたりすることがあったようだ。しかし……。

「そうではないの。戦争がなかったわけではないのだけど、原因は違うわ。そもそもエルミナスの戦争は男女区別なく動員されるわ」

 やはりそうだ。武力や戦闘力においても法理術によって男女差がない世界では、戦争は男だけのものではない。屈強な男も法理術に長けた女性に戦闘力で敵わない、ここはそういう世界なのだ。

「う……」

 武力に長けた女性というワードで、姉たちのことを思い出してしまいそうになったが、思考を戻す。

「では、なぜ男女比が」

「午前にエーテリッドを受けたわね? クウォン」

「うん、法理術を使えるようにするための処置だったね」

「そうね。でもそのエーテリッドが問題だったのよ。ね、お爺様」

「うむ。現在は解決済みではあるが、昔のエーテリッドには問題があってのう。その問題のあるエーテリッド方式を採用していた国では男児の出生率が著しく下がってしまったのじゃ」

「なんと」

 ヘレナ先生が、エーテリッドについて「今は」問題ないという旨の発言をしていたが、そういうことだったのか。

 法理術の行使という、誰もが通る道に潜んでいた落とし穴。それにより、男女比が狂ってしまい、男性が不足し女性が余る。そしてそれは社会問題となるだろう。

 それは一夫多妻制を用いればよいという単純なものでもない。そこらへんから引き起こされる問題は多岐にわたるだろう。そして若い男性の誘拐もその一つなのだろう。

「異世界こわかと……」

 残念ながら一夫多妻だハーレムだ、ひゃっほい、などというめでたい頭は持ち合わせていない。拉致、監禁されて種馬扱いされるのは絶対に嫌だ。ああいうのは、フィクションの世界であるからいいのであって、現実では地獄以外のなにものでもないのだ。

「そういうわけだから、クウォン。貴方はそのままでいいのよ」

「お、おう」

 若干腑に落ちないどころか、エッタの趣味なのではないかと思う節もあるが、ここは従っておくのがよいだろう。

「いい答えね。それで午後の予定なのだけど、私とお出かけよ」

「お、さっそく法理術の修練かな」

「焦らないの。今日エーテリッドを受けたばかりだから、身体はまだ受け入れたエーテルに馴染んでいないわ。なので鍛錬は明日からね」

「そうなのか……」

 魔法(法理術)が使えるとワクワクしていたのだが、どうやら今日はエーテリッドを受けるところまでだったようだ。ちょっと肩透かしである。

「残念そうね。でも安心して、午後にすることは貴方も大好きなことよ」

「えっ、もしかして」

「ふふ、すごくいい所があるの。クウォンもきっと気に入ると思うわ」

 なるほど。そういうことであれば話は別である。

 今度は木の裏のようなC席ではなく、S席でご一緒させてもらうことにしよう。そんな浮かれた心で出かける準備を始めるのであった。

            ◇    ◇    ◇

 晴れ渡る空の下、大樹がその影を大地に投げかける頂の丘で、天上の歌が響いている。

 風はそよそよと心地よく吹き、大樹の葉のざわめきがそれを聞く自分の心を表すようにざわめいている。日は落ち始め、徐々に世界を赤く染め始める。

“遥かなる星、導いてくれ
光の道を、一歩一歩
永遠の歌、風に乗せ
大樹の下、この地で歌う”

 距離が近いからだろうか。それとも法理術を知っているからだろうか。意味を成していなかった言葉が、歌で語る言葉として聞こえてくる。

“遥かなる星、導いてくれ
光の道を、一歩一歩
永遠の歌、風に乗せ
大樹の下、この地で歌う”

『異界の月のソプラニスタ』の挿絵。創作ファンタジー小説

 最後のメロディーが風と共に空に溶けてゆき、歌が終わる。

 パチパチパチ。

 たった一人の観客のために贈られた舞台とその歌に、最大の謝意をもって拍手を贈る。

「ふふ、ありがとう」

 エッタが微笑む。しかし、こちらはまだ言葉を探している。

「エッタ、素晴らしかったよ……」

 そう口にしたものの、それだけでは到底言い表せない。

 エッタが歌った曲はテネブラーネに伝わる旅人の歌といった所か。この落ちた枝から大樹を望むこの場所にこれほど適した歌はないだろう。

 しかし、彼女の歌は、ただ旋律を奏でるだけのものではなかった。空気の揺らぎ、風の流れ、そしてこの大地の鼓動さえも巻き込み、一つの大きな調和となって響き渡っていた。歌声が大樹の枝葉を震わせ、まるで森全体がそれに応えてさざめいているようだった。

 それだけではない。歌に込められた想い――それがまっすぐに伝ってくる。

 旅人の孤独、星に導かれながら進む道、時の流れの中で積み重なる思い出。それらすべてが、彼女の歌によって可視化され、聴く者の心の中に鮮やかな情景を描き出す。歌詞の意味を知っているからではない。彼女の声が、それを伝えてくるのだ。

 どれほどの感情が込められているのかがわかる。まるで、自分がこの地を歩いた無数の旅人たちと共に時を超えているような錯覚さえ覚えた。

「……本当にすごかった。まるで、歌に乗って旅をしていたみたいだよ」

 預かっていた水筒を渡しながら、改めて彼女を称賛する。

 この歌をこんなに近くで聞けるとは、なんという贅沢なのだろう。彼女の歌に触れられただけで、異世界に来た甲斐があったというものだ。

            ◇    ◇    ◇

「ふぅ、やっぱりここで歌うのは気持ちがいいわ」

「うん、本当にいい場所」

 しばし二人で大樹を仰ぐ。

 村から十分ほど歩いた先にあるこの場所は、聳え立つ大樹を望む絶好のスポットである。想像を絶するスケールの大樹を前に、現実感を喪失しそうな途方もない場所だ。夕日に照らされた大樹は昼間とは違った一面を見せる。

「本当に大きな木だな。あの上に沢山の人たちが暮らしているのか」

「ええ、このテネブラーネに住む者はエルミナス全体で見ればほんのごく一部に過ぎないわ」

 とはいえ、やはり想像がつかない。枝の上に築かれた村や町、そこに住む人たち、そしてその人たちはどんな想いを込めて歌を紡ぐのだろう。

「私は第二枝までしか行ったことがないけど、素敵な場所だったわ。村や町には様々な種族がいて、色々な食べ物や歌があったわ」

 実にエッタ的な感想に顔がほころんでしまった。

「それは、すごく興味あるね」

「ふふ、そうだと思ったわ。いずれクウォンも訪ねてみればいいわ。とはいえ、まずはこのテネブラーネでも生きていけるようにならないとね」

「……それってそんなに大変な事?」

 一応これでも、対人戦闘やサバイバルに関しては人後に落ちぬ自負はあるのだが。

「クウォン、テネブラーネはエルミナスの中で最もエーテル濃度が濃い場所よ」

「あ、うん。そう聞いてる」

 エーテル濃度は海抜の高さと逆相関の関係にある。つまり落ちた枝であるところのテネブラーネは、間違いなくエーテル濃度がもっとも高い地域となる。

「エーテルの適応力の高い者は強い体と長い寿命を持つ傾向にあるわ。そしてそれは人だけではないの」

「え……それはもしかして」

「ええ、テネブラーネに居る魔獣はエルミナスの中でも屈指の強さを誇るわ。それこそクウォンと村に来るときに遭遇した蛇なんて比較にならないわ」

「はぁ?!」

 なんだそれは。いよいよもってクソゲーじみている。

 あんな大きさの蛇が下の下の雑魚キャラという扱いの場所では、対人戦闘の技能などクソの役にも立ちはしないだろう。そんな場所をスタート位置に設定するというのは、いささか酷すぎはしないだろうか。相手がなんであれ文句の一つは言っても罰は当たらないだろう。

「現状を正しく理解してくれたようで嬉しいわ」

「ええ、今一度生きていることに全力で感謝したいところだよ。特にエッタには頭が上がらない」

「気持ちは十分伝わったわ。それでクウォン、世界を見て歩きたいのであればまずこのテネブラーネでちゃんと生きていけるようにしないとね」

「了解であります。マム」

「幸い時間はたくさんあるし、適性も十分。鼻歌を歌いながら戦えるくらいを目指しましょう」

「……ほどほどでいいです」

「あら、法理術と一緒に歌も教えようと思ったのだけど」

「全力でお願いします。師匠」

「いい心掛けね。ではまずさっき歌った旅人の歌から教えるわ」

「喜んで」

 まったくもって、飴と鞭をうまく使い分ける素晴らしい師である。
 それからしばらく、大樹に日が落ちるまでエッタとの楽しい時間を過ごした。

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